第2章 「一戸建て地獄」という現実

20歳代から40歳代に「終の棲家」として購入した憧れのマイホーム。購入するときは、マイホームに虹色の夢を抱いたのではないだろうか。ほとんどの人が「一生住むもの」と考えて、夢を詰め込んだ一戸建てを購入する。「一生に一度の買い物だから」と、自分の理想とこだわりを求めて少し無理をしてでも一戸建てを購入し、長年ローン返済に苦しんだ方も多いであろう。
実際、マイホームは、例えば、結婚、出産、転職を機に購入するなど、人生の節目で購入することが多く、その購入年齢も30歳代が最も多いようだ。現在一戸建てにお住まいの50歳代から70歳代の方々も、その多くが2、30年前に購入し、長年その一戸建てで快適に暮らし、その暮らしの中で色々な人生ドラマがあったのだと思う。住宅ローンを組んで購入した場合は、年収の多くをローンの返済に充てるなど、マイホームは一生をかけて働いた汗と涙の結晶といっても過言ではない。
マイホームは夢の集大成であり、また、長年苦しんででも手に入れたものであるからこそ、特別な存在なのだ。マイホームへの思い入れが大きいのは当然である。その思い入れの大きさからか、自宅で最期を迎えたいという高齢者が多いのも事実である。

内閣府が全国の55歳以上の男女を対象に行った「高齢者の健康に関する意識調査」(平成24年)によると、「最期を迎えたい場所」として「自宅」を希望している人は、54.6%と最も多かった。
男女別で見てみると、男性が女性に比べ約14%高く、男性の方が自宅志向の強いことが見えてくる。住み慣れた「自分のモノ」であるマイホームで人生の最後を迎えたいという考えは、昔も今も変わらないのだろう。
たとえ不治の病で入院していても、最期を迎えるにあたっては、できる限り病院やホスピスではなく自宅を希望し、退院する方も多い。マイホームとは、人の拠り所として極めて特別なものなのだ。

その一方で、興味深い統計がある。
株式会社矢野研究所の「シニアの住まいに関するアンケート調査結果2013」によると、シニア層における現在住んでいるマイホームからの住み替え意向について、「住み替えたい」という積極的に住み替えを希望する回答は全体的に少なかったものの、「将来的には住み替えも考えたい」「住み替えも考えたいが住み替えられないと思う」といった潜在的な住み替え需要は合計して全体の40%強に達するという。
購入時は「終の棲家」と考えていたマイホームも、年月が経ち、今の住宅に不安を覚え、住み替えが必要であるのではないかと気づき始めるシニア層が多いようだ。
シニア層の住み替え先の条件としては、全体として、「駅・病院・役所・買い物等の場所が近く、利便性が高い場所」が61.0%と最も多く、次いで「耐震性が強いなど防災性に優れた住まい」が29.8%、その他「掃除・手入れに便利でコンパクトな住まい(広すぎない)」「現在の居住地と同じエリア」などが多かった。

これまで長年住んできた自宅の老朽化に加え、自身の高齢化に伴う体力や身体能力の低下を避けることはできないから、高齢者が今後の日常生活を快適・安全・便利に暮らせるような住み替えが期待されているのだ。
マイホームを購入するときには最重要視せず、多少の不便・不都合は目をつぶっていた「駅やバス停まで近い」、「病院やスーパーが近い」、「掃除などの手間が最小限で済む」、「敷居の段差がない」など、バリアフリー、利便性、コンパクト性が、高齢になると強く求められることになる。
また、マイホームの購入時とは異なり、近年の震災の影響から耐震性への関心も高く、住み替えをする際の重要な要素として加わったといえる。

一方で、住み替えの必要性を感じ始めたシニア層であっても、すぐには住み替えない、または住み替えられないと考えており、住み替えに向けた一歩がどうしても踏み出せずに、躊躇している感もあるようだ。やはり、マイホームへの思い入れが強いのだろう。その思い入れが二の足を踏ませているのかもしれない。
基本的に、シニア層は住み替えに対して消極的なのだ。
しかし、住み替えの必要性を重く受け止め、誰かが背中を押してくれるなら、消極的であったシニア層も、住み替えに向けて一歩を歩み出せるのではないだろうか。

そこで、漠然としている住み替えの必要性を認識してもらえるよう、「一戸建て地獄」と称して具体的に一戸建ての危険性やリスクについて、ケースを提示しながら紹介したい。「一戸建て地獄」といわれると、まさかと首をかしげる方も多いかもしれないが、実際には、本当に地獄のようなことが起こっているのだ。

【ケース1】子どもが独立して夫婦二人だけ、老老介護に

結婚し子どもが生まれて、郊外に夢のマイホームを手に入れる。人生において「一人前」と認められるための条件とされてきたことである。やがて子どもは、進学や就職で自宅から巣立っていく。そして、仕事も徐々に第一線から退き、数年後にリタイアとなれば、夫婦2人だけの悠々自適なセカンドライフがやって来る。
そう思っていた東京郊外に在住の典型的な専業主婦A子さんは、頼れる夫が50代半ばで脳梗塞を患い倒れてしまった。
営業職として接待の名のもとに暴飲暴食を長年続けたことがたたったのだろう。一命を取り留めたが、介護が必要となった。しかし、子どもの手助けを受けるわけにはいかない。すでに家庭を持ち、仕事の関係で遠い土地で頑張っている。仕事を辞めて戻ってきてほしいとも言えない。A子さんは、いま、1人で懸命に夫の看病を続けている。このような状態に置かれると、夢のマイホームは2人暮らしには不便過ぎる。何しろ、介護をしながらの家事は大変だし、買い物に出るにも近所にスーパーはない。夫を置いての遠出は一切できなくなった。
A子さんの場合は、まだまだそうとはいえないが、いわゆる介護が必要な高齢者を65歳以上の配偶者などが介護する「老老介護」のケースは、近年、急速に増えている。つまり、A子さんのようなことは、今後、多くの家庭が経験するのだ。
例えば、埼玉県在住の50代後半の男性Bさん。子どもの独立後、妻が痴呆症を発症してしまった。最初のうちは仕事と妻の介護を両立させていたが、痴呆の症状が進み重度となると、妻の介護に専念せざるを得なくなり、さんざん悩んだ挙句、仕事を辞めざるを得なくなった。
A子さんもBさんも、どちらも「老老介護」の予備軍といえるが、郊外一戸建てに住む夫婦の多くは、子どもが独立してしまうと、夫婦2人きりの生活になる。そして、歳を重ねれば、どちらかが先に健康を害すことになる。
その時、一戸建てのマイホームは「地獄」と変化してしまう。

介護保険制度における要支援・要介護の認定を受けた者は、平成15(2003)年度末に370.4万人であったが、平成26(2014)年度末で591.8万人となっており、221.4万人(約160%)も増加している。
特に、75歳以上の被保険者のうち要支援・要介護の認定を受けた人の割合を見ると、要支援の認定を受けた人は9.0%、要介護の認定を受けた人は23.5%となっており、約3割以上が認定を受けていることになる。(内閣府『平成29年度版高齢社会白書』)
日本は「長寿大国」といっても、その内実をよく見ると、よいことばかりではないようだ。
また、要介護者などから見た主な介護者の続柄をみると、6割以上が同居者となっている。その内訳は、配偶者が26.2%と最も高く、次に子が21.8%、子の配偶者が11.2%となっている。性別をみると、男性が31.3%であるのに対し、女性が68.7%と多くなっている。現代社会において、配偶者による老老介護が増えるのは仕方がないのかもしれない。

介護者を精神的に追い込んでしまうのは、介護離職してしまった場合だ。介護者である夫が、仕事と介護との両立が難しくなり、仕事を手放すというケースである。
周囲や仕事仲間は、愛妻家だと賞賛してくれるものの、実態はそんな生易しいものではない。介護だけが生きがいということになるが、一人で介護の問題を抱えるとなると、心身ともに疲労困憊し、経済的に苦しくなるだろう。精神的・肉体的に辛くとも介護をやめることができない。目の前のことに追われる毎日。将来の展望など全くなくなり、ボーっと空を眺めてしまう。友人とも疎遠になり、より孤立を深めることになる。他人の目が一切ないので、行動にブレーキがかからず、妻は管理されて夫の言いなりになってしまう。支配者となった夫がいらだつと、介護放棄や暴力へと転じる最悪の結果を招くことになる。実は、まじめで完璧主義の人ほどこうした事態に陥りやすいという。
さらに、近年見られるのが高齢の夫婦のみで構成される高齢者世帯の老老介護だけでなく、2世代同居をしている世帯での老老介護である。

例えば、90歳近い母親の介護を65歳の娘が介護するという老老介護のケース。今増えているケースだ。高度経済成長期に専業主婦として過ごした母親は、自分は自由に生きられず、自己実現なんて夢のまた夢であったという無念さがあることも。その思いを「あなたのために生きてきたのだから、あなたは私の面倒を全部引き受けるべきだ」と娘にぶつける母親。娘は「自分が面倒を見なくては。他人に任せられない」という心理状態に陥り、母親の介護問題を一人で抱え込んでしまう。これが介護地獄を招くのだ。
高齢者同士で介護をするのは並大抵の苦労ではない。

一般的に、高齢になればなるほど身体の自由は利かなくなり、介護者自身の肉体的な負担が増加する。プロの介護士でさえ、腰痛が職業病の一つといわれるほど身体への負担が大きいという事実から、介護者が高齢者の場合の介護の大変さは容易に想像できるだろう。
大柄の夫の介護は、24時間、365日休みなし。妻のエネルギーは奪われ続き、さらに老け込んでいく。しかし、子どもはもちろんのこと、他人にも助けを求めることに負い目を感じてしまう妻は、「自分一人でなんとかがんばらねば」と思ってしまうばかりで、他人を頼ることができず、孤立感を強めていく。
このような一人で抱え込んでしまうケースだけでなく、他人を家の中に入れることへの警戒心から第三者のサポートを受け入れないケースや、介護は入浴や排泄などのデリケートでプライバシー性の高い領域のケアを他人に任せることへ強い抵抗感を持っているケースもある。

老老介護が一戸建てで行われている場合は、介護自体をさらに困難なものとする。バリアフリーの理念で建築されているマンションと異なり、一戸建てはもともと狭い土地に無理やり縦方向に空間を伸ばす発想で建てられている場合が多い。特に昭和に建てられた一戸建ては上がりかまちが急にせりあがっており、健常者ですら踏ん張らないと玄関から上がれないものもある。
傾斜が厳しい階段は、前かがみになってつかまりながらでないと上がるのは難しく、一苦労。さらに追い討ちをかけるのは、下りだ。階段を踏み外さぬよう慎重に降りねばならず、ともすれば下の階に転げ落ち、命の危険もある。
階段は高齢者が怪我をしやすい最も危険な場所の一つ。2階に物干し場があると、洗濯物を干すために、洗濯物をもって階段を上らなければならない。思わずよろけて階段から落ちたりしたら大怪我だけで済まない可能性がある。生活動線を見直さないといけない。
部屋と部屋をつなぐ敷居にも段差がある。特に昭和の時代に施工された一戸建ての場合、建物の堅牢性を確保するために、梁を多くして、区画を区切る建材もどうしても部屋側に露出した構造にせざるを得なかった。昔の建物はとにかく梁がたくさん出ており、その結果、バリアフリーとは対極の構造になってしまっている。

バリアフリー対応ではない一戸建ての場合、誰が困るかというと、まずは高齢者、特に介護者である。平面上で生活できるマンションに比べて、一戸建ては基本的に跨いだり、上がったり、下がったりという動作を余儀なくされる。足腰が弱なった要介護者はもちろんのこと、介護者である高齢者にとっても、ただでさえ介護で精神的にも身体的にも負担を強いられているにもかかわらず、さらに身体的負荷となる動作を余儀なくされる。
家の中で毎日障害物競走をしているようなものだ。いつ怪我をしてもおかしくなく、高齢者にとって、これほど辛いものはないだろう。最終的には、介護者が要介護者をベッドから起こすこともままならなくなり、寝たきりで点滴生活を送ることに。このような状態に陥ると、要介護者の症状は急速に悪化することになり、それに伴って介護者の健康状態も心配になる。

高齢者ばかりではない。バリアフリー対応ではない一戸建ては、介護サービスに通うヘルパー泣かせなのだ。ベッドから高齢者を抱きかかえて入浴させたり、ベッドに寝かせたりする際に、段差があるとヘルパーも非常に辛い。
さらに、一戸建ての階段は住環境の悪化をももたらす。平屋であればともかく、大多数の一戸建ては階層構造にすることによって、居住空間をやっと確保している。高齢になると、階段を上るのが非常に困難になる。最初は腰に手を当てながらなんとか階段を上り下りしていた老親が、やがて1階で寝るようになり、次第に2階には上がらなくなる。
最終的には、2階は「物置」と化す。とりあえず要らなくなったもの、使わなくなったものを置いておくのに2階は非常に便利だ。ただ、階段の先にある2階は足が遠のくもの。段々と2階の荷物も増え、雑然としてくるにつれて、片付けなければと思うが、階段を上がることを考えると、二の次になる。ますます2階から足が遠のく。とうとう、2階は、足の踏み場もない物置同然と化し、見て見ぬふりをするしかなくなるのだ。結局、2階建てとはいえ、機能としては平屋の上に物置が乗っかっている状況になる。

空き部屋が物置化すると、風通しや掃除をすることなく放っておかれることになる。通気性が悪くなると、ホコリだけでなく、家具の背面などにカビが発生する。冬場には窓の周囲にできる結露の影響もあり、さらにカビが発生する。部屋中それらの臭いで充満。壁紙の継ぎ合わせから黒カビが顔を覗かせている。カビは家の傷みにつながるだけでなく、健康被害も心配だ。自分や家族の健康に気を配るのはもちろんだが、「家の健康」もおろそかにしてはならない。幸せな生活を支えた夢のマイホームも、時が経ちライフスタイルが変わり、老後の生活となると、欠陥住宅へと変貌してしまう。
ここから見えてくるキーワードは、「バリアフリー化」と「コンパクト化」。住宅内部のバリアフリー化によって、日々の行動にストレスを感じず、かつ事故の予防にもつながる生活空間とし、また現在のライフスタイルに合わせた広さの快適な住宅とすることが重要となる。

バリアフリーの設備として、代表的なものは、手すりの設置、すべり防止措置、扉の引き戸化、洋式トイレへの変更である。転倒事故を防ぐために、廊下、トイレ、洗面所、脱衣所、浴室にも手すりをつけるとよい。浴室やトイレに手すりをつけると立ち座りの動作がしやすくなる。さらに、部屋と部屋の間の段差は全てなくしたほうがよく、浴室の段差は特に解消したい。室内ドアは、できるならば開き戸ではなく引き戸にしたい。握力が弱くなっても開け閉めしやすくなる。また、風にあおられていきなり閉まることがないので安心だ。将来における車いすの利用を考え、開口部を取りたい。居室は畳敷きからフリーリングに変更し、浴室やトイレの床材は濡れても滑りにくく、撥水性の高い材質のものを選ぶほうが良い。
特に浴槽への出入りの際に転倒しやすい。トイレは寝室の近くが安心だろう。しゃがむときや立ち上がるときに転倒事故が起こりやすいので洋式化し、手すりをつけるとよい。高齢になると夜間もトイレに行く回数が増えるので、可能な限り寝室の近くに設置したい。仮に骨折が完治しても療養中に動かさなかった身体の筋力はさらに低下し、より大きな転倒事故につながるケースもあるのだ。
住居の広さは、今後の加齢による身体面での衰えまで考えると、あまり広くない方が楽に過ごせるはずだ。

一戸建てをリフォームすればよいのでは、と思った方も多いのではないだろうか。
しかし、リフォームも相当多額の費用がかかる。2階建てを平屋にするなど大規模の工事となれば、なおのことである。その資金をどこから捻出するのか、頭が痛いだろう。リフォームでは済まされない場合もあり、大掛かりなリフォームをするくらいなら、いっそのことマンションへの住み替えを検討した方がリーズナブルであることも多い。

Column介護疲れで…悲劇に

2017年5月6日 大阪府高槻市で老老介護による殺人事件が起きた。認知症で寝たきりの夫(当時73歳)に対し、アルバイトをしながら一人介護を続けていた妻(当時73歳)が、介護疲れを理由に食事を与えず、「死んでいると思う」と高槻署に自首。事件が発覚した。夫婦は二人暮らしで、2016年から認知症が悪化した夫の面倒を妻が看ていたが、2017年4月下旬から数日間、介護に疲れて夫の介護をせず、食事を与えなかったことで、寝たきりだった夫が死亡したとみられている。
介護疲れによる心中事件や殺人事件が増加しており、社会問題となっている。老老介護の夫婦が共倒れするリスクが日本では特に高まっているといえよう。

【ケース2】売却して老人ホームへと思ったが買い叩かれる

東京郊外、かつては郊外住宅地として脚光を浴びた私鉄沿線に住むCさん。70歳が近いこともあり、妻と2人で老人ホームへ入居することを決め、マイホームの売却を考えた。
築30年ほどの一戸建て。定期的に手入れをしてきたものの、老朽化は否めない。内部構造も一昔前のものであり、現在のトレンドに合っているとは思えない。不動産仲介業者に頼んでみたものの、一向に連絡がない。本当に買い手が付くのだろうか。
初めは老人ホームへの住み替えに向けて意気揚々としていたが、売れるか不安が大きくなるにつれ、夫婦で住み替え先の話をすることも少なくなってきた。
老人ホームへの入居費用も売却代金頼みだから、先に住み替えることもできない。先が見えず、このまま売れずに住み続けることになったことを考えるべきだろうか。
不動産仲介業者の担当者が、新築よりも中古戸建てを好んで購入する人も増えてきていて、価格の安さが一番の決め手になるので、売出価格を1割から2割下げてみてはどうかと提案してきた。この際だから2割価格を下げようか、いや、あまり価格を下げると老人ホームへの入居資金に影響がある。どうしたらよいのだろうかと、現在、思案に暮れている。

マイホームを売ろうとしても、結局のところ「買いたい」という人が現れなければ、物件を手放すことができない。裏を返せば、買い手の需要にあった物件でなければ、売却することはできない。
キーワードは、「釣り合い」。
家にはその地域、その土地、その場毎に「ふさわしい」イメージがある。例えば、高級住宅地にワンルームマンションは釣り合わないし、人口減少の著しい過疎地に白亜の豪邸というのも釣り合わない。いくら維持管理が行き届いていても、その地域で求められる需要が小さい物件は売れ残ることになる。特に、日本人は新築を好む傾向にあり、場所的な問題からただでさえ需要の小さい上に築年数も経ってしまった物件は、さらに条件が悪くなる。
また、一戸建て特有の問題として、間取りなど理想の条件を追い求めたオーダーメイド品であるため、所有者個人の好みが色濃く反映されており、他人が受け入れ難いという点もあるだろう。さらに、仮に「釣り合い」が取れている物件であっても、マイナス査定の土地もある。それが次の「魔の8要素」をはらんだ物件だ。

  • ①敷地の形が整っておらず、使いにくい。
  • ②狭い道路に面している。
  • ③道路に面していない。
  • ④利用価値が著しく低い。
    (例)著しい高低差がある/激しい振動がある/線路や空港が近く、騒音が激しい/地盤にはなはだしい凹凸がある/日当たりが悪い/臭気が漂う/土地の取引に不利な条件がある(隣に墓地があるなど)
  • ⑤建ててよい建造物などの利用制限がある。
  • ⑥土壌が汚染されている。
  • ⑦文化財が埋まっている。
  • ⑧広すぎる。

例えば、あまりに広い土地付きの一戸建てを分筆せずに売ろうとしても、それを管理維持可能な人は少なく、買い手が付かないのだ。
このほか、売却以前の問題として、「商品」としての条件が整っていない物件は論外といえよう。例えば、土地の境界線が曖昧であったり、登記が正確になされていなかったり、相続でもめていたりすると、買い手どころか、不動産仲介業者も手を引いてしまうだろう。

【ケース3】一戸建てで起こる孤独死・看る人さえいない

これまで約40年間第一線で働き、やっと仕事から解放されて幸せな老後を過ごせると思っていた矢先に、妻に突然先立たれたDさん。65歳で一人暮らしになってしまった。マイホームは、神奈川県の郊外住宅地にある建売り一戸建て。30年前にローンで手に入れた。
これまで家事は一切妻に任せっきりで、食事を作ったこともない。家は最寄り駅からも遠く、スーパーや病院に行くにはバスやタクシーを使わねばならない。そして、最寄駅から都心に出るには約1時間かかる。
周囲の人間や友人に相談したいとは思ったが、プライドが邪魔をして助けを求められない。食事は惣菜中心。掃除しなければと思ってもやる気が起きない。自分に引け目を感じ、友達付き合いさえも減ってしまった。これまで仕事一筋の人生、趣味といえるものはなかった。これから趣味を楽しもうと思っても、何をしたらよいのかわからない。孤独感だけが強くなってくる。
バスを使って買い物に出かけることも億劫になり、外出する機会さえ減ってしまった。そうしているうちに、家の中はゴミ屋敷化、庭はもちろん手入れもされず、荒れ放題に。隣人が悪臭に気づき、警察が家の中に入ったときには、死亡から数ヶ月が経過していた。

このような仕事以外の人間関係が希薄である高齢者は意外に多いのではないだろうか。内閣府の『平成27年版高齢者白書』によると、孤独死を身近に感じる60歳以上の単身者の割合は、45.4%と約半数に迫り、また、高齢者で一人暮らしをしている人ほど万が一のときに頼れる人がいないと感じているようだ。
特に、自意識が強く、弱みを見せられない性格の男性は要注意だ。孤立無援となるケースは、配偶者との死別など人さまざまであるが、その予防策として、無理なく人と接する機会を増やせる環境は重要だ。

例えば、住まいが最寄り駅、スーパー、市役所や図書館など公共施設に近いことは、自然と外出の機会を増やし易く、人と接する機会を作ることができるといえよう。しかし、一昔前の一戸建ては、ある程度の広さの土地を確保するため、駅から離れた、地理的に不便な場所に建てられることが多かった。その結果、駅やスーパーと距離が離れてしまった。
もちろん、若いときであればそれでもよかったであろう。しかし、加齢と共に身体機能も低下すると、外出も一苦労。内閣府平成27年版高齢社会白書によると、地域における不便な点トップ3は、「日常の買い物に不便」「医院や病院への通院に不便」「交通機関が高齢者には使いにくい、または整備されていない」であり、高齢者にとって体力的に負担のかかる買い物・通院に不便な場所に自宅があることが窺い知れる。交通機関や自動車を使わなければいけないのであれば、なおさら外出の機会を逸し易いといえよう。

また、ゴミ屋敷は孤立死の兆候であるといわれている。孤独死は65歳以上の高齢者に多く、東京23区内だけでも毎年4000人が孤独死している。全国区でみると毎年2万人以上が孤独死で亡くなっており、その実に8割以上が、セルフネグレクト(自己放任)が原因といわれている。
セルフネグレクトとは、通常の生活を維持するために必要な行為を行う意欲・能力を失い、例えば、食事をとらなかったり医療を拒否したりして、自己の健康・安全を損なうこと。つまり、セルフネグレクトの人は、生活が荒れ、ゴミが片付けられずに増え続け、部屋がゴミ屋敷化してしまうケースが非常に多いのだ。
そのため、高齢者の家がゴミ屋敷化している場合は孤立死の兆候であるといわれる。現在足立区など東京23区内ではゴミ屋敷の片づけ支援などを行っており、孤立死の増加を食い止めるために動いている。

【ケース4】ご近所トラブル。隣家の旦那が怒鳴り込んでくる

隣家と密接して立っているEさんの自宅。埼玉県の西武線沿線の分譲住宅地で、ここに家を建てた頃は、隣に家はなかった。それが数年で家が立ち並び、若い夫婦と子どもたちでいっぱいになった。
しかし、それから30数年、子どもたちは大人になって出て行き、隣近所は残った老年夫婦ばかりになった。そして数年前、隣家はいつの間にか売られ、見知らぬ中年夫婦が移り住んできた。この中年夫婦の旦那の方が家の中で騒ぎ、怒鳴り散らしている音がよく聞こえてくる。そして、ここ数ヶ月は、庭に出て大声で叫んだりしている。まるで断末魔のような叫び声だ。
騒ぎ出すと、リビングでの団欒も遮られ、夜中だとその声で目を覚ますほど。隣の家の中からは、物を壊したり、叩いたりする音が不定期に聞こえてくる。妻もひどく怖がっている。先日、突然、その旦那が怒鳴り込んできた。家の中で騒いでうるさいという根も葉もないことで、身に覚えもない苦情であった。
つい昨日も同じように怒鳴り込んできた。うちの物音がうるさく、そのせいで身体を壊してノイローゼになりそうだと言いがかりをつけてくる。

一戸建ては、近隣の住宅や建物と密接して建てられていることが多いため、眺望・日照が悪かったり、室内が近隣や道路から見えたり、室内の音が漏れるなど、外部世界との関係でプライバシーなどの問題がある。今回のケースの隣人のような方や、有名になった引っ越しおばさんのような方が隣に住んでいたら大問題にも発展しかねない。
そこまでいかなくても一戸建ての場合、隣家との間で騒音、悪臭などのトラブルがつきものであるが、高齢者の家庭では子どもが独立しているために身近に頼る人がおらず、高齢者自身がそのトラブルの矢面に立って、対応しなければならない。加齢により体力的にも衰えてきたときに、隣人とのトラブルを対処しなければならないとなると、精神的負担も大きい。
さらに、隣人トラブルというのは、直ぐには解決できないのも特徴だ。時間が経つうちに、ご自身のみならず、配偶者まで病気になったり、外出できず気分が落ち込み、寝たきりになったりするなど、被害は思いのほか大きい。
基本的に、隣人は選べないもの。だからこそ、プライバシーの確保などを考慮したうえでの住宅環境の整備が重要視されるべきなのだ。

Column世田谷立てこもり事件

2012年10月10日、東京都世田谷区の路上で女性Aさん(高齢者)が日本刀と見られる刃物で首を切られた状態で発見され、間もなく搬送先の病院で死亡が確認された。女性を切りつけた男Bさん(高齢者)は、現場近くの民家に逃げ込み立てこもったが、捜査官が突入すると首などから血を流して倒れており、搬送先の病院で死亡が確認された。
近所の住民の話によると、AさんとBさんの両家の境界線を走る私道に、Aさんが趣味の鉢植えを置いたのに対し、Bさんが何度も注意したのだが、Aさんはほったらかしにしていたことから、口論などいさかいが絶えずエスカレートしたようだ。近所でも、Bさんが刀を持ち出した、AさんがBさんに体当たりした、農薬をかけたなど様々ないざこざの話が聞こえていたようだ。
この種の一戸建ての隣家トラブルは多発しており、これを防ぐ方策はなおざりにできないといえる。

【ケース5】エアコンをつけずに熱中症で死亡した三姉妹

昨今は物騒な世の中で、セキュリティの甘い一戸建てに住む高齢者を狙って犯罪や問題が発生する。2015年に詐欺被害によって引き起こされた、なんともいたたまれない事件があった。
2015年8月11日、東京都心で猛暑日が連続するなか、東京都板橋区の一戸建て住宅で、高齢の姉妹3人が熱中症と見られる症状で死亡していることが発見された。三姉妹は、2015年3月ごろ、ガス会社を名乗る人物が家を訪れ、「ガスの更新手続きが必要だ」などと言われ、話をしているうちに財布を取られる被害に遭い、それ以降、用心して家の窓を閉め切ることが多くなっていたようだ。
また、三姉妹は、「クーラーをつけると、のどが痛くなる」と知人らに話していて、クーラーを付けずに扇風機を使っていたとのことで、発見時にはクーラーは止まっていた。
マンションに住んでいたのであれば、窓を開けていても防犯上、そこまでの問題は起きないため、閉め切りの状態で熱中症にかかることもなかったかもしれない。

一戸建ては、死角になる場所があったり、窓・ドアの数が多いなど侵入可能な箇所が多かったり、防犯設備が古いため、セキュリティ面で不安がある。特に、高齢者の一戸建てでは、身近に頼りになる人が居ないことが多く、犯罪者のターゲットになりやすい。
そのため、防犯性能の高い窓ガラス、シャッター、二重ロック、人感センサー付き照明の設置など対策を講じる必要があるが、新たに設備を導入しようとすると、選択肢が多くてどの設備にすればよいのか検討できないうえ、多額の費用がかかり、躊躇してしまうようだ。
なお、平成27年版高齢社会白書(内閣府)によると、警察の働きなどにより、社会全体の犯罪被害件数は年々減っているものの、高齢者の犯罪被害件数は減らず、犯罪被害件数全体を占める割合はむしろ増えているようだ。
また一戸建ては、マンションなどと比較して気密性・断熱性の点で劣り、熱の出入りが多いため、夏は外からの日差しの暑さを遮ることができず、冬は冷え込みが激しくなる。そのため、比較的冷暖房費がかかり、経済的負担が大きく、家計に優しくない。

Columnリフォーム詐欺「気づいたら6000万円」

埼玉県A市のX1さん(高齢男性)は、かつて埼玉県A市内の工務店経営の男性Y氏に外壁工事等を依頼したことがあったが、そのY氏は、X1さんの不在を狙って自宅を訪問し、X1さんの妻で認知症と診断を受けたX2さん(高齢女性)とリフォーム工事の契約を繰り返し結んでいた。X2さんが認知症の診断を受けた2009年から2011年の間に受注した29件のリフォーム工事の施行額は約6000万円で、29件のリフォーム工事のうち少なくとも24件に修繕の痕跡がなかったとのこと。
X1さんは、Y氏を刑事告発し、県警は詐欺の疑いで書類送検したが、最終的にさいたま地検は嫌疑不十分で不起訴とした。
X1さんは、「知らないうちに金額がかさんでいた」と嘆いていた(埼玉新聞2015年5月21日より引用)。このような高齢者を狙ったリフォーム詐欺は後を絶たない。

Column表札に不審な記号があったら要注意

泥棒、空き巣、訪問販売、押し売り業者などは、騙しやすいカモとして、その家の表札など見える位置に目印をつけていくようだ。
例えば、『12-16R』は、「12-16」は「12時から16時の間」、「R」は「留守」をそれぞれ意味し、『ここの住民は12時から16時の間留守にしている』ということを示している。
また、『Sロ』は、「S」は「シングル(一人暮らし)」、「ロ」は「老人」をそれぞれ意味し、『ここの住民は一人暮らしの老人である』ということを示している。
泥棒や業者によって、マーキングの記号には違いがあるようだが、表札やドアに不審な記号があったら、コマめに消すようにしたい。

防災面では、築年数をかなり経過していると耐震性や耐火性が低いことが多い。1981年以降に建てられた住宅は、現在機能している「新耐震基準」で設計されているので、地震に強く、震度6から7程度の地震でも即座に倒壊しないことを目標にしている。それ以前に建てられた住宅は、基本的に、この新耐震基準での耐震性能とは歴然とした差があるのが現状だ。また、耐火性、防火性という面では、耐火構造や不燃材料の進化により、現在の水準は、建築時では考えられないレベルになっている。こうした最新の機能を備えた家で安心に暮らすにはリフォームが必要となるだろう。しかし、多大な費用が掛かり、うちは大丈夫という根拠なき自信から、そのまま放置してしまうこと多いようだ。
『平成27年版高齢社会白書』(内閣府)によると、65歳以上の高齢者の住宅火災による死者数(放火自殺者等を除く)は、平成25(2013)年では703人と前年より増加し、住宅火災の死者数の6割以上が高齢者となっている。
また、ゲリラ豪雨や大雨で浸水しやすい地区に自宅がある場合、万が一、大雨洪水による避難勧告が出ても自力で避難することができず、自宅に取り残され、生命・健康の危険に晒されることがある。

【ケース6】相続が「争続」に!親子、兄弟間で大もめ

妻に先立たれたFさんは、30年前に購入した都内の一戸建てで、長男夫婦と暮らしていた。長男の嫁ができた嫁で、Fさんの面倒を何から何まで見てくれていた。ところが、このFさんが突然倒れて意識不明になってから、Fさんの死を前提にした息子たちによる相続争いが始まった。
長男は当然、親の面倒を長年にわたって看てきたのだから、家はそのまま自分のものになると考えていた。ところが、二男三男が家を売って財産を分割することを主張したのである。「法律上は同じ権利があるのに、なぜお兄さんに譲らないといけないのか」と言い出して、もめにもめた。Fさんの財産は自宅不動産のみで、突然倒れたために遺言もない。
長男の嫁は、「私が一生懸命、お父さんの面倒を看てきたのに」と主張したが、「そんなことは法律では関係ない。お兄さん夫婦がこのまま住み続けるなら、分割分をお金で出してくれ」と一蹴され、それまでは正月やお盆のたびに集まった兄弟たちは、口も聞かなくなった。

古い間取りの一戸建ては、仮に子どもが相続しても使い道がない場合が多いため、相続人が相続したがらず、またマンションと違って企画商品ではないため換価分割しづらい。そのため、遺産分割協議で決まって問題になるのがこの一戸建て、不動産の分け方なのだ。
現金だけであれば問題になりにくいが、不動産が相続財産に含まれるとなれば、話は違ってくる。不動産は分けにくく、その評価が問題になるからだ。
不動産を分ける場合、例えば土地であれば、分筆をして一つの土地を二つに分けることで、分割する。このとき、土地の場合は分筆をしない限り、分割をすることはできず、単独で相続するか、売却してお金を分ける(換価分割をする)か、共有にするかの選択を迫られる。建物やマンションの場合は、物理的に分断してそれぞれに分けることはできないので、結局、単独相続か、換価分割をするか、共有にすることになる。
ところが、どの方法をとったとしても、問題がある。

まず共有の場合。
共有とは、一つの不動産を「持分」という割合で複数の共有者が「持ち合う」状態をいう。そのため、共有するというのは法律上、「持ち合う」だけの親密な関係があることを予定している。
その不動産を使ったり、貸したり、売ったり、管理したりするたびに、共有者全員での協議が必要となる。いざ、不動産を活用したいと思ったときに、基本的に自分ひとりでは何もできず、せっかく所有している不動産を有効活用することができないのだ。もし、独断で行ってしまうと、他の共有者の権利を侵害することになり、トラブルの原因につながる。
共有し続けるということは、いつまでも共有者間で協議が必要だということなのだ。しかし、コミュニケーションがとれない間柄の共有者同士だと、前提の協議を開くことさえままならない。開いたとしても共有者間で合意に達するなど到底ありえないのだ。
つまり、共有は、問題を先延ばしにしたに過ぎず、いつまでも続く紛争の引き金になる厄介な方法なのだ。

次に換価分割の場合。
換価分割とは、不動産を売却して現金化し、その現金を相続人で分割する方法だ。売却代金そのものを分割するので、1円単位できっちりと分けることができる。一見便利な方法のように思えるが、問題点もある。
最も大きな問題は、不動産の売却ができないということだ。換価分割は売却代金を分割する方法なので、不動産が売却できることが大前提であり、売却できるまでは遺産分割できないということになる。しかし、不動産は、今日売りに出して明日には買い手が見つかるというものではない。条件にもよるが、基本的に、一戸建てはなかなか売れないことが多いようだ。

最後に単独相続の場合。
一人の相続人が単独で不動産を相続した場合、他の相続人から代償分割を求められる可能性が高い。代償分割とは、特定の相続人が不動産を相続する代わりに、他の相続人に金銭などを支払うなどして過不足を調整する方法だ。この調整金を代償金というが、この金額は相続人の協議で決定することになる。
いずれにしても、不動産を単独相続する相続人は、代償金としてある程度の金銭を用意しなければならない。相続人自身が現金を持っていれば問題ないが、そのようなキャッシュリッチな相続人はそう多くはない。結局、代償金を支払うために相続した不動産を売却したり、不動産を担保にお金を借りたりしなくてはならなくなる。

将来の相続のことを考えると、一戸建ては親子・兄弟間の争いの種になる可能性が高いだろう。また、仮に不動産を相続したうえで相続税を払うことになった場合には、相続税の軽減措置である小規模宅地等の特例を利用したいところであるが、小規模宅地等の特例が適用できるかどうかは不確定だ。さらに、例えばマンションなどに比べて、一戸建ては税制面で不利であるといわざるを得ない。そのため、一戸建てを残すと、相続人に大きな負担を押し付けることになることから、相続財産としてはあまり望ましいとはいえないだろう。

2020-02-16 22:17 [Posted by]:不動産の弁護士・税理士 永田町法律税務事務所