交渉破棄
売買契約が成立すると、契約に基づいた債権債務の関係が生じますので、債務が履行されなければ、契約上の債務不履行となります。売り主の側からいえば、契約に基づいて目的物を引き渡し、買い主の登記移転に協力する債務が発生することになります。
このような契約後の法的義務に対し、契約前に一定の法的義務が生じるケースがあります。契約の交渉が開始され、交渉が進展している場合です。こうした状況で、相手方に損害を与えると、「契約締結上の過失」が生じます。かつて、この契約締結上の過失によって過失をした方が相手方に負う責任は「不法行為」なのか「契約責任」なのかが議論されてきましたが、最高裁は平成23年、「不法行為」との判断を示しました。契約締結上の過失においては、売却予定者と購入検討者との間に生じる「説明義務違反」の問題以外に、結果的に契約締結に至らず、交渉が破棄されたことで、一方当事者に損害が発生した場合の問題があります。
民法は「契約自由の原則」を定め、契約成立に向けた交渉過程で条件に折り合いが付かない場合、当事者は交渉を中止できます。この際、原則として、交渉を取りやめても当事者に法的責任は生じませんが、交渉が進んで契約内容が煮詰まり「契約が成立しそうだ」との信頼関係が当事者間に生じていた場合、その関係は保護される必要があります。
契約成立直前に、合理的理由もなく一方当事者が交渉破棄を申し出れば、通常、相手方は信頼関係が損なわれたと感じます。このような状況で、相手方に損害が生じたと言えるのであれば、「交渉破棄に関する契約締結上の過失」の法理により、損害賠償義務が発生します。
なお、交渉がどの段階に至ると損害賠償義務が発生するのかは、契約締結に向けてどの程度の準備がなされたかによります。例えば、土地の測量や分筆の完了、造成工事の開始、購入資金の確保、契約内容の合意状況、契約締結日の設定などが判断要素となるでしょう。
また、売買予約に関わる問題もあります。売却予定者が予約の約定に反して購入予定者に売却を実行しないと、予約違反が生じます。判例は、不動産所有者が買い主との間で建物や敷地を売り渡す予約契約を締結し、予約証拠金を受け取っていたのに、第三者に売却してしまったケースで、売買予約契約の解除と予約証拠金・違約金の返還。支払い請求を認めています。
交渉破棄に関する判例としては、土地の売却予定者と購入検討者が契約の全条項に合意し、契約締結予定日を決める段階に至っていたのに、売却予定者が交渉を破棄したケースで不法行為責任を肯定したケースがあります。また、売却予定者と購入検討者の間で土地の売買代金額が決まり、所有権移転登記と引き換えに代金を一括決済することとし、契約締結日も決まっていたのに、売却予定者が契約締結を拒んだ事案で、購入検討者の損害賠償請求を認めた判例もあります。さらに、土地の売却予定者と購入検討者の間で売買代金や契約締結日まで決まっていたのに、売却予定者が土地を第三者に転売し、契約締結を不可能にした事案で、不法行為の成立を認めた判例もあります。
一方で、ある自治体が土地所有者のAさんから道路用地を買収する際、土地計画課長が他の土地所有者から道路用地として買収した土地のうち道路敷地としない残地について、他に優先する者がいなければAさんに払い下げると説明しながら、結局、他の土地所有者の買収対象土地との交換により処分してしまい、Aさんに払い下げなかったことが不法行為に当たるというAさんの主張に対し、裁判所が認めなかった例があります。また、土地の売却予定者と購入検討者の間で売買代金額などが決まっていたのに、代金決済の時期などで折り合いがつかず、契約締結に至らなかったケースで、購入検討者の損害賠償請求を認めなかった判例もあります。